奈良の歴史

2017年2月9日 │

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先土器時代

先土器時代とは1949年に群馬県にある岩宿遺跡で発見された、縄文文化により先に発祥した日本列島の旧石器時代の名前です。
日本最古の石器時代を日本列島独自の文化が展開し、縄文時代へとつながります。
奈良では、二上山北麓がサヌカイト材石器生産の中心となりました。

縄文時代

かの有名な縄文土器の使用された時代です。約1万2000年前~2400年前まで続きました。
この時代に奈良県にあった遺跡は山辺郡山添村大川遺跡(早期)、吉野郡大淀町桜ケ丘遺跡(前期)、吉野郡大淀町北大田遺跡中期(中期)、天理市布留遺跡(後期)、吉野郡吉野町宮滝遺跡(後期)、晩期には橿原市橿原遺跡、葛城市竹ノ内遺跡などが見つかっています。

弥生時代

縄文時代に次ぐ、ほぼ前4~3世紀の時代を指します。この時代に発見された時は「弥生土器」と呼ばれます。朝鮮や中国からの情報が北九州に伝来し、やがて日本全土に広まった時代でもあります。
邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢した時代でもあります。
奈良県の磯城郡には磯城郡田原本町唐古・鍵遺跡、中曽司遺跡、
奈良市には六条遺跡などが見つかっています。

古墳時代

多くの古墳が見つかった時代で、大和朝廷が日本国家の統一をなした3世紀後半~7世紀の時代をさします。
この時代から、鉄器の普及と農耕生産の向上に伴い社会的身分の差が生じていました。
奈良で見つかった古墳は桜井市箸墓古墳・茶臼山古墳、奈良市ウワナベ・コナベ古墳、 御所市には宮山古墳、県の南東部には大型前方後円墳が集中しています。
佐紀古墳群、馬見古墳群で大型前方後円墳の築造が行われ、他にも橿原市新沢千塚古墳群、見瀬丸山古墳、高市郡明日香村石舞台古墳など、多数の古墳が見つかっています。
他にも、天理市崇神・景行陵などが奈良盆地南東部に出来ています。

飛鳥時代

日本史の時代区分法によって推古天皇が豊浦宮で即位した592年~710年(和銅3年)の平城京遷都までの100余年間をさします。
こちらの項目から年数に順じて奈良の歴史を追っていきます。

  • 588年:蘇我馬子、法興寺を建立。
  • 593年:聖徳太子、摂政となる。飛鳥地方に宮都が営まれる。
  • 601年:聖徳太子、斑鳩宮を建立。
  • 605年:飛鳥寺安居院の飛鳥大仏、鞍作鳥により造立。
  • 607年:法隆寺建立される。
  • 623年:止利仏師(鞍作鳥)、法隆寺釈迦三尊を造立。
  • 626年:蘇我馬子死す、桃原墓に葬る。石舞台古墳とする説がある。
  • 630年:第1回遣唐使として犬上御田鍬らを唐に遣わす。
  • 646年:大化改新の詔を出す。
  • 670年:法隆寺焼失する。
  • 673年:天武天皇、飛鳥浄御原宮にて即位。道明上人、長谷寺を建立。
  • 674年:当麻寺建立される。
  • 694年:都を藤原京へ移す。
  • 701年:大宝律令が完成。
  • 710年:平城京へ遷都、興福寺を平城京に移建。

 

奈良時代

政権の所在地による日本史の時代区分法によって、710年に平城京へ遷都してから784年に長岡京に遷都するまで、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳(孝謙重祚)、光仁の7代の天皇の治世70余年間をいい、ほぼ8世紀の大半がこの時代に相当します。

  • 716年:元興寺を平城京に移建。
  • 718年:薬師寺を平城京に移建。
  • 723年:興福寺施薬院・悲田院をつくる。
  • 725年:行基および橘諸兄が久米田池を掘る。
  • 729年:大安寺が平城京に建立される。長屋王の変が起こる。
  • 741年:聖武天皇、恭仁京で朝政を摂る。
  • 743年:墾田永年私財法を発布。盧舎那仏造立を発願。
  • 745年:都を平城に戻す。
  • 752年:東大寺、盧舎那仏開眼供(るしゃなぶつかいがんきょう)を行う。 東大寺二月堂御水取りの行事が始まる。
  • 754年:唐僧鑑真ら来日。
  • 756年:聖武天皇の遺品を東大寺正倉院に納める。
  • 763年:鑑真歿し、その戒院、唐招提寺となる。
  • 768年:春日大社創建される。
  • 782年:室生寺建立される。

 

平安時代

8世紀末から12世紀末に至る400年間を政権の所在地「平安京」によって名づけたものです。
この400年は、10世紀初頭の醍醐天皇の治世と、11世紀後半に入った後三条天皇の治世とを境として、前期・中期・後期に分けられます。

  • 784年:都を長岡京に移す。
  • 794年:都を平安京へ移す。
  • 810年:平城上皇、平城宮を復する。
  • 813年:藤原冬嗣、興福寺南円堂を建立。
  • 855年:東大寺大仏の頭が落ち、大仏を修理する。
  • 1136年:春日若宮御祭り始まる。
  • 1180年:平重衡、南都を攻め、東大寺・興福寺を焼く。
  • 1185年:平氏滅亡。源義経、吉野山に潜伏する。
  • 1188年:興福寺金堂・南円堂上棟。

 

鎌倉時代

政権所在地による時代区分の一つです。鎌倉に幕府があった時代をさします。

  • 1195年:東大寺再建落慶法要行われる。
  • 1219年:長谷寺が焼失。
  • 1225年:金峰山蔵王堂が焼失。金峰山衆徒と高野山衆徒が争闘する。
  • 1236年:幕府、大和に守護を置くが、すぐまた廃止。
  • 1282年:東大寺が伊賀黒田庄の悪党取り締まりを六波羅探題に訴える。
  • 1287年:竜田市の名があらわれる。この頃、竜田・八木などの町場が発達する。
  • 1301年:悪党ら春日社に乱入し、神鏡奪う。この頃、大乗院門跡郷に南市開かれ、一乗院門跡郷の北市に並ぶ。
  • 1304年:幕府、興福寺衆徒の訴えで大和国内の地頭職をやめる。
  • 1331年:後醍醐天皇、京都から奈良・笠置寺に逃れる。
  • 1332年:護良親王、吉野山に挙兵する。

 

南北朝時代

14世紀の半ばから末まで50余年間の南北朝内乱の時代をさします。鎌倉時代と室町時代の中間にあたり、広義の室町時代に含まれます。

  • 1336年:後醍醐天皇、吉野に移り南北朝時代となる。
  • 1344年:本願寺存覚上人、吉野郡秋野河房舎に下向する。
  • 1348年:高師直、吉野行宮・蔵王堂などを焼く。
  • 1352年:後村上天皇、賀名生を行営とする。
  • 1361年:大地震で大和に被害出る。
  • 1373年:長慶天皇、吉野へ戻る。
  • 1382年:春日社焼失。
  • 1392年:後亀山天皇、京都に戻る。南北朝の合一。

 

室町時代

室町時代は広義には、1333年(元弘3年)鎌倉幕府滅亡のあとをうけて、同年の建武政府の成立から、1573年(天正1年)南山城の槙嶋城における室町幕府の崩壊までで、安土桃山時代に続きます。

  • 1395年:信貴山本堂が焼ける。
  • 1399年:興福寺金堂供養が行われる。
  • 1411年:興福寺東金堂・五重塔などが雷火で焼失。
  • 1414年:奈良の中市開かれる。
  • 1415年:宇陀郡で幕府の追討軍を土一揆が襲う。興福寺東金堂が復興。
  • 1426年:興福寺五重塔が復興。
  • 1428年:西大寺付近で徳政一揆起こる。
  • 1430年:永享の大和合戦始まる。
  • 1446年:東大寺戒壇院焼ける。
  • 1447年:興福寺衆徒が東大寺僧坊を壊す。
  • 1451年:徳政一揆、元興寺金堂・興福寺大乗院を焼く。
  • 1467年:応仁の乱起こる、大和の衆徒・国民も分立。
  • 1471年:壷坂寺焼ける。
  • 1480年:大和の一揆衰えず、興福寺十三重塔などを焼く。
  • 1532年:大和一向宗徒と興福寺衆徒が戦い、興福寺焼失。
  • 1533年:奈良の高天市、次いで南市開かれる。
  • 1559年:松永久秀、奈良に多聞山城を築いて居城とする。武家の大和支配の始まり。
  • 1567年:松永久秀、三好三人衆を東大寺に破る。大仏殿兵火にかかる。

安土桃山時代

織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を擁して入京した1568年(永禄11年)から、関ヶ原の戦によって徳川家康の覇権が確立した1600年(慶長5年)までの約30年間をさします。
別名・織田・豊臣時代とも呼ばれています。

  • 1576年:織田信長、筒井順慶に大和を管領させる。
  • 1580年:筒井順慶、大和国中諸寺の梵鐘を徴発して鉄砲をつくる。織田信長、大和の国に検地を行う。
  • 1585年:羽柴秀長が郡山城主となり、大和を治める。
  • 1594年:豊臣秀吉・秀次らが吉野山で花見。
  • 1595年:増田長盛、郡山城主となる。 大和惣国検地(太閤検地)を実施。
  • 1600年:関ヶ原の戦い。徳川家康、 大和を収め、大久保長安を大和代官とする。

 

江戸時代

安土桃山時代に続く時代で、徳川家康が征夷大将軍になった1603年(慶長8年)から、15代将軍徳川慶喜が大政を奉還して将軍を辞した1867年(慶応3年)までの265年間をさします。

  • 1603年:江戸幕府開かれる。奈良町の町割りを行い、惣年寄制を実施。
  • 1608年:暴風雨で南都に被害。
  • 1613年:奈良奉行を置き、中坊秀政をこれに任じる。
  • 1614年:筒井領東山中10カ村一揆。
  • 1623年:南都で大火、1300戸焼失。
  • 1634年:奈良町の地子を免除。今井札が初めて流通。
  • 1664年:奈良を直轄領とし、南都代官所が設置される。
  • 1670年:郡山で大火。
  • 1677年:延宝検地を行う。
  • 1678年:生駒山の宝山寺を宝山和尚湛海が中興する。
  • 1685年:松尾芭蕉、大和路を巡遊。
  • 1692年:東大寺大仏の開眼供養を行う。
  • 1704年:奈良町で大火、約2000戸を焼く。
  • 1717年:興福寺焼失。
  • 1724年:柳沢吉里、郡山藩主となる。
  • 1729年:幕府の採薬使、大和の売薬について調査。この頃宇陀森野薬草園開かれる。
  • 1738年:南都代官廃止される。
  • 1740年:金剛山・葛城山付近に豪雨、御所で700戸流失。
  • 1756年:奈良奉行所が綿問屋仲間を許可。
  • 1762年:奈良で大火、3000余戸を焼く。
  • 1780年:おかげ参りが流行。
  • 1783年:奈良や在方に薬種屋・合薬屋の株仲間が成立。
  • 1790年:五条代官設置され、主として吉野郡を支配。
  • 1838年:中山みきが丹波市三島で天理教の布教始める。
  • 1863年:高市郡のミサンザイを神武陵に決定。天誅組、五条代官所を襲う。
  • 1867年:・三輪・高田などで 「ええじゃないか」が起こる。

 

明治時代

1868年(慶応4年・明治1年)9月8日の明治改元から、1912年7月30日明治天皇の死にともない皇太子嘉仁(よしひと)親王が大正と改元したときまでをさします。
1853年(嘉永6年)ペリーの来航に始まる幕末・明治維新をはじめとする維新期の激動の時代から、明治天皇の没後に新しい時代の台頭を象徴する事件として生起した大正政変のころまでをさすのが適切です。

  • 1868年:奈良奉行を廃し、興福寺をして町政にあたらせ、ついで大和鎭撫 総督府、さらについで奈良府が置かれる。
  • 1869年:奈良府を奈良県と改称。
  • 1870年:五条県設置。
  • 1871年:大和一国を所轄する奈良県を設置。奈良・郡山など20カ所に郵便役所・郵便取扱所を設置。
  • 1972年:県下最初の新聞「日新新聞」発行される。
  • 1973年:奈良角振町に第一大屯所(警察署の前身)設置。
  • 1875年:東大寺大仏殿回廊で第一次奈良博覧会大会が開催される。
  • 1876年:奈良県を堺県に合併。
  • 1879年:郡山で第六十八国立銀行が開業。
  • 1880年:奈良公園が開設される。
  • 1881年:堺県が大阪府に合併、大和国も 大阪府の管轄となる。
  • 1884年:フェノロサ、政府の命により大和国の古社寺を調査。
  • 1887年:奈良県を再設置。
  • 1888年:第1回県会が東大寺回廊で始まる。
  • 1889年:十津川地域に大水害。罹災者、北海道で移住。
  • 1890年:橿原神宮が創建される。
  • 1892年:奈良-・湊町間に鉄道開通。
  • 1895年:帝国奈良博物館が開館。
  • 1897年:古社寺保存法により国宝60点、特別保護建造物19棟指定。
  • 1898年:奈良町に県下最初の市制施行。
  • 1899年:関西鉄道株式会社により関西本線が全通。
  • 1908年:奈良市内に電話開通。
  • 1910年:平城遷都1200年祭を施行。

大正時代

大正天皇の在位期間(1912~26年)で、独占資本主義の確立に帰結する資本主義の急成長、中間層および無産階級(労働者、農民)の政治的進出を背景に、、社会、文化の各分野において大正デモクラシーと呼ばれる民主化が進行したことが時代の特徴をなします。

  • 1914年:大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)大阪上本町-奈良間開通。
  • 1918年:県下各地で米騒動起こる。日本最初のケーブル、生駒山・ 鳥居前-宝山寺間開通。
  • 1921年:平城宮跡が史跡に指定される。

昭和時代

昭和の元号を冠した時代(1926~89年)をさしますが、明治時代や大正時代のように、決まったイメージで語れる時代ではありません。第2次世界大戦とその後の改革による変動があまりにも大きく、戦前と戦後ではまったく違った時代といってもよいほどの大きな変化を遂げているからです。

  • 1928年:-奈良間を結ぶ奈良電車開通。春日奥山周遊道路開通。
  • 1929年:吉野山ロープウェイ開通。
  • 1934年:法隆寺の昭和大修理始まる。
  • 1936年:吉野山地、吉野熊野国立公園に指定される。
  • 1940年:橿原神宮などで紀元2600年奉祝式典。
  • 1945年:ウォーナー博士らの勧告により奈良・京都、米軍の空爆から免れる。
  • 1946年:大峰山地、吉野熊野国立公園に編入される。
  • 1949年:法隆寺金堂炎上し壁画焼ける。
  • 1950年:奈良市、国際文化観光都市を宣言。
  • 1952年:吉野熊野総合開発始まる。
  • 1956年:吉野分水、奈良盆地へ導入。
  • 1959年:阪奈道路(奈良-大阪)、五新国道(五条-和歌山県新宮)開通。平城宮跡発掘調査始まる。
  • 1969年:西名阪道路開通。藤原宮跡の国営発掘調査始まる。
  • 1972年:高松塚古墳で極彩色壁画を発見。
  • 1973年:奈良県の人口100万人突破。
  • 1976年:薬師寺金堂の落慶法要が行われる。
  • 1978年:春日若宮おん祭りの神事芸能、国の重要無形文化財に指定。
  • 1980年:明日香村保存特別立法施行。東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要が行われる。
  • 1981年:薬師寺西塔再建される。
  • 1984年:第39回国民体育大会開催される。
  • 1986年:関西文化学術研究都市建設推進機構が発足。
  • 1988年:「なら・シルクロード博」開かれる。入場者約680万人。平城宮跡で長屋王邸宅跡出土。

平成時代

現在の私達が暮らしている時代で、昭和の後、1989年(平成元年)1月8日から現在に至る時代です。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もありました。

  • 1991年:伊勢-神戸間を結ぶ「歴史街道」推進協議会発足。
  • 1994年:法隆寺地域の仏教建造物、世界文化遺産条約の遺産リストに登録される。
  • 1995年:創都1300年記念「ロマントピア藤原宮’95」開かれる。
  • 1997年:第二阪奈道路開通。
  • 1998年:奈良市制100周年。東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡の8ヶ所が、世界文化遺産条約の遺産リストに登録される。
  • 2004年:金峯山寺、吉野山、吉野水分神社、 金峯神社、吉水神社、大峯山寺、 大峯奥駈道、熊野参詣道小辺路 の8ヶ所が、世界文化遺産条約の遺産リストに登録される。
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この記事を書いた人:

中山 要

元奈良本社の店長で、現在は京都支店長。スピーディーできめ細やかな対応力が武器です!

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